物置

雑多に、備忘録として

読んでみたら詠んでみたくなった

ここ2年くらいで短歌の本を読むようになった。

といっても年に1〜2冊読むのが、読み漁っているわけではない。

小説を読む時よりも多くの情報が31音に詰まっていて、読み解くのに時間がかかる。わたしの持てる知識をフルに注ぎ込んで、(こういうことなのか????)と思いながら読む。するっと理解できる時もあれば激しく共感を覚える時もある。はたまた、言語化できないもどかしさや経験不足の歯痒さを心でないまぜにしながら、頭をひねり読む時も。苦しい。でも、そこがおもしろい。

たくさんの歌を読んでいると、(わたしでも詠めるんじゃね?)という思いが芽生え始めた。

詠んでみて思った。短歌、難しい。何をどうやっても31音で伝えたいことが収まらないのだ。どうしても長くなってしまう。言葉を選んで、伝えたい内容を選んで、厳選していくことでようやく音数がまとまっていく。でも、どうやっても字余りとかあと2音何かないか……とか、出来上がってもなんかイマイチ……みたいなことを繰り返していた。出来上がったときの達成感はヤバい。がんじがらめから解放されたような気持ちになる。「産みの苦しみ」ってのはこういうことなんだろう。

作るうちに何かしらのフィードバックが欲しいと思ったがインターネットでも人見知りなものだから、SNS上で行われる歌会みたいな場所に出すのもためらっていた。

ということで1年かけて作ってみたものの中から5首をブログで公開するし、詠んだときの気持ちもメモしていたので書く。わたしは他人と関わらず顔を出さなければ、インターネットで何やってもいいと思っている節がある。

 

 

ブラウスの襟から滑り込んでくる冬と一緒に歩いて帰る

仕事帰り、仕事着のブラウスの襟から風が入ってきて「寒っ!」と思ったときのやつ。少し離れた従業員駐車場まで冬と一緒に歩いた。

 

鍵をかけ重りをつけて沈めよう碧い湖面の深く深くへ

田沢湖に行ったときのやつ。田沢湖は「日本一深い湖」らしい。思い出したくないことや墓までしまっておきたい気持ちがいろいろたくさんあったから、深い湖の底へ「沈めたい」と思った。

 

忘却の魔法をかけられているからみんな書けない年末調整

毎年恒例なのに毎年書き方を事務の人に聞いている。なぜか覚えられない。周りの人もそうらしいから、集団で魔法をかけられているんだと思う。

 

セプテンバーまた歳をとる意味のない生だと指を差されたくはない

わたしはわたしのことを「何もできない奴」だと感じてしまう。元々の自己肯定感の低さと、メンタルが地の底に居たがゆえの思考。年に数回、精神的に終わる時期がある。死にたくはないけど、何もできないから消えたくなる。生きながら消えたい。自分で自分に後ろ指を差して笑っている。いい加減、人生を縛りプレイで進めるのはやめたい。

 

歴戦のスナイパーだ血管を仕留める凄腕おばちゃん看護師

採血検査が苦手だ。中学の頃だったか、血管が細くてうまく採血できずに何回も腕を刺され、具合が悪くなってしまったことがずっとトラウマ。でも、採血担当がおばちゃんだと安心感がある。わたしの細い血管に一発でヒット、よどみなく採血が終わるから。少し前、大学病院に通っていた。採血するための部屋があって、そこの看護師さんの手際の良さに驚いた。早いし痛くないしやさしい。

 

 

ポケットモンスター スカーレット/バイオレット」の追加コンテンツの舞台「キタカミの里」のモデルと言われている岩手県北上市には、「現代詩歌文学館」という詩や俳句や短歌の本しかない図書館があるらしい(うろ覚えの情報)。わたしの働く職場で5年前くらいにアルバイトをしていた(雰囲気が)俳優の浅利陽介さんっぽい学生から教えてもらった。「ゆとりあるさん、そういうの好きそう」と。

頭の片隅にずっとあり気になっていたものの家から少し遠い(とはいえ下道でも片道2時間半あれば着くだろう距離)のと、慣れない街の慣れない道は疲れるのでなかなか行く気にならなかった。ただ、短歌の本を読むようになってもっと色々知りたいことが増えてきた。街の本屋さんには短歌の本はあまり多くない(探し方が悪いのかもしれない)。そろそろ行ってみようかしら、なんて思い始めている。北上市には「アメリカ」もあるし。