物置

雑多に、備忘録として

記憶の反芻~平沢進+会人 HYBRID PHONON 2566 東京公演感想~

わたしが平沢進という沼に落ちて早10年。今じゃ熱量は落ち着き、なんなら少し離れていた期間もあるがあらかた曲は聴いたつもりだった。でも今回のライブに参戦して、まだまだ履修科目がたんまりあるぞと痛感した。

 

自分が参戦する東京公演の前に大阪公演のアーカイブを見ておきたかったのだが、結局腰を据えて観る時間を捻出できず購入を断念した。大阪2日目の「パラ・ユニフス」めちゃくちゃ観たかった。

それでもあらかじめ大阪公演のセットリストをTwitterもといXで確認していたのだが、かなり不意打ちというか(そう来る?!)という変化球も変化球で驚いた。わたしの予想(という名の願望)は全ハズレ。たぶん、相当な古参ファンが感嘆するような内容だったのではないかと思う。「1778-1985」や「MONSTER A GO GO」はかなりご無沙汰な曲だったようだし、というか音源が容易に手に入らないんですが。選曲が玄人向けすぎるだろ。

 

そして2023年9月17日、東京。わたしにとっては3年半ぶり、会然TREK 2K20▲03以来の東京だ。開場直後の東京国際フォーラムで人の多さに驚いた。いつもどこに潜んでいるのか、馬の骨*1ども。平沢進を見るために来たひと、ヒト、人ならぬ、ほね、ホネ、骨。皆どんな思いで入場列に並んでいたのだろうか。わたしは久しぶりの平沢進のライブにあまりにも緊張しすぎて吐きそうだった。同時に、この目で平沢進のパフォーマンスが見れることに胸が高鳴り続けていた。交感神経が昂りすぎて全く体調がすぐれない中入場し、席につく。開演まで15〜20分。東京へ発つ前に友人から借りた双眼鏡のピントを合わせたのちスマホ機内モードに設定、目を瞑ってその時を待った。

始まってしまえば終わりが来てしまうのは必然だが、それにしてもあっという間だった。約1時間半の公演は秒で過ぎ去った。やっぱり楽しい。緊張も解け、思う存分平沢進と会人のパフォーマンスに酔いしれた。わたしが最後に平沢進のライブへ足を運んだのは2020年3月だ。それ以降は配信で楽しんでいたが、会場の空気感、配信には乗らないだろう近くの座席のか弱い歓声、鼓動のように響く低音など、それら全て現地に足を運ばねば体験できないものだと改めて思い知らされた。唯一無二の音楽使いのライブはあまりにも尊い空間だった。

 

終演後、わたしは人の流れに乗って会場を出た。有楽町方面へ歩を進め、今見たものが現実だったのか自問自答した。いや、現実なんだけど、平沢進も会人もホログラムだったんじゃないかとか、集団幻覚を見てたんじゃないかとか、そんなことを考えていた。

疲れはあるものの足どりは軽く、しかし家々の窓を破ることはなく途中コンビニで夕飯を購入し、宿泊する銀座のホテルまでの道をGoogleマップ片手に迷いながら帰った。ホテルに着くなり着替えてすぐさま購入した山盛りパスタと袋入りのカットサラダ、煮卵とナムルを平らげベッドに仰向けになり、天井を仰ぎながらさっき見たライブを反芻した。MCで「えーじゃない」「やかましい」と馬の骨達に言い放った平沢進から計り知れない愛を感じ、演奏中の会人のわちゃわちゃした動きがかわいかったなぁとニヤニヤし、それにしても今回も演出凝っててすごかったなぁ、いつでも反芻できるよう忘れぬうちに、と感想を書き始めた。

1週間程経った今でも反芻している。運転中、仕事中、入浴中ところかまわず。何回でも咀嚼し味わい飲み込みたい内容だったから。

 

以下、記憶にこびりついて離れない曲や演出の感想。

 

 

DUSToidよ、歩行は快適か?

一曲目。「叫ばない」と合成音声とモニターで意思表示。叫ばなかった。「はい」だった。この「はい」の瞬間、わたしは同志である友人から借りた双眼鏡で野鳥の会よろしく平沢進Watchしており、(してやられた!)となった。「はい」と言うだけなのになぜこんなにもおもしろさや奇妙さや、それらを「有機的」といったらよいのだろうか、そんな感情が渦巻いてしまう。何回でも見たい、見返したい瞬間だった。

 

LANDING

これがウワサの涅槃歌唱……!

涅槃歌唱もさることながら、さまざまなポージングをとる平沢進に開いた口が塞がらない。これも全部平沢進の思うつぼ、と思うとn回目の(してやられた!)しか出てこなくなる。ただ、あのポージング全てに一人の人間の苦悩や葛藤のようなものが垣間見えた。虹が6色だった……。

 

賢者のプロペラ

双眼鏡で覗いていた時、目が合った気がする。「気がする」だから「気のせい」の可能性もあるが、それでもなお目が合った気がすると確信する。なんとなく「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」って言葉はこういうことなのだと思い知った。

それはそうと、平沢進が客席を指さしてゆーっくり動かすパフォーマンスがかなり印象深い。その動きに連動して、会人が照明を動かす。皆を照らす光、プロペラのように回る。愛と慈しみが見える。これは気のせいじゃないはず。大阪公演では「崇めよ我はTVなり」でこのパフォーマンスを行ったとか。同じパフォーマンスでも曲によって意味合いが変わるなーと感心した。

 

暗黒πドゥアイ

「πドゥアーーーーーーーーーーイ!!!!!!!!」で双眼鏡を覗かなかったことを激しく後悔している。後光にしてはかなり強烈で目くらましな閃光が差していた。鮮烈。

 

白く巨大で

平沢進は絶対カギ閉めるマンと化していた。音に合わせて鍵を閉める動作をするのだが、その動作と照明の切り替えがかっちりとはまっていて面白い演出だと思った。しかも今回のコンセプトの3色(ピンク、赤、青)に順番に切替わるのだ。これ照明の方は合わせるの大変じゃないかな?どうなんだろうか。

モニターの映像も好き。曲中にぴちょん、という音が入るのだが、これに合わせて人差し指が縦にまっすぐ引かれた線に触れて波紋が広がるような映像が流れていた。目でも耳でも心地よかった。

 

ANOTHER DAY

これがスタンディングライブだったらサビで腕振り抜いてたってくらい腕を振りたかった。ロックバンドのライブみたいだね。

モニターに映し出された青空、この曲のミュージックビデオのやつなのでは?

「行く先はここ」を東京国際フォーラムで聴ける日が来るとは思わなかった。感慨深い。不思議と多幸感が胸いっぱいに溢れてくる。わたしはなんだかんだ言いながら(やっぱり平沢進はやめらんねぇなぁ!!!)と一生馬の骨であり続けるのだろう。

 

パレード

馬の骨たちを送り出すのに相応しいアンコールなのではないか。東京のど真ん中で恐怖のパレード(という名の入場を待つほぼ黒ずくめの馬の骨達の長い列)、その原因はあなたの公演があったからです、師匠よ。

 

「時間等曲率漏斗館へようこそ」、「1778-1985」、「ゾンビ」、「MONSTER A GO GO」は今回のライブでもっと聴きこみたいと思えた。ただ、音源を持っていない。正直、太陽系亜種音*2を買うのはハードルが高すぎる。公式でどうにかアルバム単位でMP3を販売してはもらえぬか、などとわがままを思ったり思わなかったりする。権利関係が複雑そうだ。いろんな意味で40年超えのキャリアは伊達じゃない。

さて、恐怖のパレードの様相でかつ律儀に列をなす従順な馬の骨達を今度はどこへ連れて行ってくれるのだろうか。次のライブが今からとても、とても楽しみである。

 

*1:平沢進ファンの呼称。

*2:P-MODELのコンプリートCDBOX.お高い。